モモ~あなたの時間泥棒は何か?

児童文学というジャンルのようですが、読んでいて、ゾッとしました。
1973年に書かれた本でありますが、40年後に読む一読者をゾッとさせるのですから、その先見性には驚くだけです。

多くの人がご存知かもしれませんが、「モモ」は、モモが時間泥棒と戦う話です。
こんな内容の本だと小学生の頃に聞いたことがあって、面白そうだなと感じていたが、とうとう読む機会には恵まれませんでした。

神田さんが10年後の本棚に残したい本としてあげていたので、「再び巡りあったわけだから、読めってことだな」と思ったわけです。
 参考:10年後あなたの本棚に残るビジネス書100~人生のメンターを探す本

ネタバレもありますので、お気をつけ下さい。




こんな本です

どこからやってきたかわからない不思議な少女モモ。
街の人々はモモに話を聞いてもらうことで、本来の自分を取り戻したり、悩みを解決できたりするのです。
そんな平穏な日々も、時間泥棒がやってきて一変することになります。

という感じで、児童文学です。

モモ

感想

時間を盗まれるということ


時間泥棒によって、人々の時間は奪われて、「時間を節約することがすべての目的」になってしまいます。
そのため、散髪屋さんは、お客さんと話をしなくなり髪を切ることだけに集中し、30分で終えるところを20分終わらせて「10分効率よくできた」となるわけです。
家も道路もすべて画一的なものに統一すれば、時間がかからなくなり、時間の節約が実現されます。

ところで、節約された時間はどこにいったのか。

本の中では、時間泥棒たちが時間貯蓄銀行に貯めこんで、生きるために使っています。
ですので、節約したと思っている人間たちは、時間泥棒に時間を奪われているために、「効率的に働いているのに、なぜか時間が足りない。余裕がない」となり、ますますせかせかと働くようになります。

その一方で、時間の効率化とともに、心というものが忘れ去られて行きます。
散髪屋のお客は話を楽しむこともなく、ただ単に髪を切ってもらうだけになる。
親は仕事に忙しいから、子どもに遊ぶためのおもちゃを与え、食べるためにお金を与える。

人々は一層忙しくなり、大事な心を忘れて、せかせか、いらいら生活をするようになる。
なのに、当人たちは、時間泥棒に時間が盗まれていることに全く気づかない。

モモ

現実に引き戻される


頭を心を本の世界から、ふと現実に引き戻した瞬間に、ゾッとしました。

自分も同じようになっているのではないか

ってことに。

効率ってなんだろう。
効率を追い求めて忘れてしまったものはないだろうか。
時間泥棒に盗まれてしまった時間はどれだろう。

例えば、時間を効率的に使いたいと思う一心で、

・時間がもったいないとして、同僚の話を聞かない
・毎年、昨年のデータをそっくりそのまま利用している
・書類にイラストを入れたり、装飾を入れたりするのは時間の無駄である
・移動するときは常に早歩き
・「まずは結論を述べて」「聞かれたことだけ答えなさい」ととにかく(要領の悪い)人の話し方にうるさい

時間を効率的に使おうとする一方で、

・目的もなく、ただ単にテレビを見続けている
・仕事帰りに、とりあえずコンビニに寄って、雑誌などを立ち読みして帰る
・ちょっとした時間があればネットを見ている
・こたつに入ってだらだらしている


24時間を考える中で、本当に節約すべきは何で、大いに時間をかけるべきは何か、ってことがわかっていない、考えようとしないから、時間泥棒に気づけないのではないでしょうか。

仕事をしてから思うのですが、本当に忙しい。
それが年々増えていっている。
その終わりがくるのかと思って50代の人を見ると、同じように忙しい。残業だらけ。

自分が10年、20年経っても同じような、いやもっと悪化していく一方だとしたら、ゾッとした。
違う勤務地なら、自分より1時間、2時間遅いのは当たり前とのこと。

いつから、この忙しいのが当たり前になったんだろう。
そして、それを誰もが疑問に思わないわけです。

モモ

売上とか、目標達成とかを声を大にして言う前に、いかに従業員たちを早く帰らせるためにどうしたらいいのかを管理職が考えるべきです、声をあげるべきじゃないかな。
その方が、はるかにモチベーションが上がるのに。

みんな感覚が麻痺してしまって。
そんなことを言おうものなら、「そんなことはわかっている。けど、しないといけないことがあるからやらないと」と言って取り扱ってくれない。

さらに、そう言っている人の中には、自分たちをさらに忙しくさせる仕事を増やす人もいる。
「こうやらないといけない」「反省にこう書いてあるから、改善しないと」と、70点、80点でよしとせずに、100点にしないといけない人たち。

いや、、、80点でいいんじゃないのかな。
たった1人の意見で計画をがらっと変えるのはどうかな。
すべてを100点目指したらとてもじゃないけど仕事は終わらない。
それこそ軽重つけてやるべきであって。
(それに、その仕事は当人たちの独りよがりで100点にいつも到達しない・・・)

そんなこんなで、やらなくてもいいことをやって忙しくさせる一方で、「こんなに忙しくしているのに管理職は何もしてくれない」と嘆いてみたり。
忙しくすることが自分の存在意義みたいになっちゃったり、忙しいことが当たり前で何も感じなくなったり。

不思議で不思議で・・・。

このやりとりが、モモの世界と同じで絶句したわけです。

モモ

声が聞こえたら・・・


「効率ばかり追い求めていいのか」「忙しくする必要があるのか」と声が聞こえてきたらどうでしょうか。

モモの話の中でも、時間泥棒に気づいている人間はいるのですが、その彼は観光案内人なのですが、時間泥棒たちの仕業で人気者に仕立てあげられてしまいます。
仕事がたくさん入ってきて、とうとう時間に追われる日々になります。

ある日、彼は「こんな生活はやめよう。時間泥棒について公表しよう」と決意をするのです。
その時に時間泥棒が電話をしてきて、「我々がお前を人気者にしてやった。それをやめるなら、今の地位もなくなるぞ」と脅すわけです。

彼は自分の力量もわかっていて、他人の力でのし上がったとしても、今の人気者をやめられないのです。
そして、残念なことに時間に追われる日々に没して、親友であるモモとも話もろくにできなくなります。

・・・

忙しくしている自分を自覚していながら、「この仕事を断ったら」「この仕事の95点を100点にするような些細なことをやめたら」、時間がきっとできるだろうと思っているはずなんですが、

決断できないのです

彼の例でもあるように、今の自分がいるのが「この忙しさのおかげ」であって、今を失う恐怖に怯えているのです。

結局、変化を恐れて、今の不遇な状態に甘んじてしまいます。
ちなみに、何かに対してNoと言うことや、変に忙しくするのをやめることは、現状を悪化させるかと言ったらそうでもないはずです。

ちょっとの変化を恐れることで、結果的には自分がどんどん追い込まれていくようになっていく。
笑い話ではありません。

終わりに

モモは児童文学なのですがね、妙に考えさせられてしまって、色々と書いてしまいました。

お金と効率。
資本主義世界の宿命みたいなところがありますが、今が本当にあるべき姿なのか、とふと立ち止まって考える時は必要ですね。

何より、どの職場でも管理職が、従業員をいかに早く帰らせるのかについて知恵を出してもらえるようになってほしいものです。